機関誌きかよん

Qiqayon(きかよん,Kikayon)は,旧約聖書ヨナ記に登場する植物の名です.それが正確に何であるのかは,今や謎です.通例,それは「トウゴマ」(唐胡麻)と解釈されています.

「すると主なる神は,彼の苦痛を救うために,とうごまの木(きかよん)に命じて芽を出させた.とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり,頭の上に蔭をつくったので,ヨナの不満は消え,とうごまの木を大いに喜んだ」(ヨナ記 4,6)

きかよん No.19, 2013年冬

親愛なる友よ,

 聖書のヨナを守ったとうごまの木「きかよん」は一日の生涯でしたが,私達の「きかよん」は25年間生きて,死にそうでしたが,また,発行することができました.受刑者についての特集号です.
 長い沈黙の理由は "麦の会" の用事が大きかったことです.麦の会については,麦の会代表伊藤玲雄さんの記事で紹介されています.
 2009年以降 "麦の会" 通信「和解」の編集出版で多忙でした.毎木曜日午後8人のスタッフが集まって,340人ぐらいの受刑者の麦の会のメンバーとその手紙や依頼に応えています.
 この活動で手紙のやりとり,そして面会で何人かの受刑者や死刑囚と知り合いになりました.
 今回,2009年1月29日39歳で処刑された佐藤哲也さんの遺言とほかの受刑者の手紙を載せました.
 彼らの書いたものを読むと,すばらしい発見があります.無理やり,狭い部屋に入れられ,そこで生活し,いろんな苦しみ,屈辱,孤独の中にあっても,人間的に自由になる人は少なくありません.
 彼らは家庭や社会のいろいろな制約で自由にできなかった,命と死と死のあとの重要な人生のテーマを考えるのに,自由になりました.建前からも,ストレスのある忙しい生活から解放され,刑務所で考えたり,読んだり,書いたり,描いたりする時間が設けられています.
 多くの受刑者は,行ったことを償いたい.被害者の家族にゆるしを請い,彼らからゆるしてもらうことを望んでいます.どうしても平和を取り戻したい.
 ゆるしを願わない人は二重の囚人になります.刑務所での囚人と,さらに孤独,寂しさ,良心の呵責,悪意に満たされたこころの囚人.
 被害者も加害者をゆるさないうちに殺された人のことで,悲しみ,さらに憎しみをずっと抱く.憎しみは,昼夜疲れることなくこころを蝕む.彼の残された年月は死ぬほど寂しいものになる.
 憎しみはこころを殺し,人生を牢獄にする.
 一方,ゆるしは復活させます.ゆるしは,悲しみが喜びに,闇が光に,憎しみが慈しみに変えられます.専門家の意見によると,ゆるすことは白血球を増やしたり,体全体に良い影響を与えるそうです.しかし,ゆるしの道をはじめるのはどれほど難しいか.だが,ゆるすことだけが被害者にも加害者にも太陽を輝かすことができる.
 哲也さんも他の受刑者も自分のゆるしを頼む勇気がありました.ゆるしをいただいた方は平和のマントに包まれ,恐怖から解放され,死ぬことも恐れない.哲也さんは自分の罪の罰として絞首刑に向ったわけではなく,主がかれの家に迎えるために,迎えに来てくれると自分の死を望みました.
 この過程には養母の助けがありました.養母は最初知人として,面会を重ね,対話を続け,主イエスの愛を伝えました.そして哲也さんを養子にし,かれは養母のおかげで主イエスに出会うことができました.
 哲也さんは「過ちを担い,背いた者のために取り成す」(イザヤ 53,12)主イエスに自分の罪を,勇気をもって委ねました.
 パウロはこう言っています:「キリスト・イエスは,罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり,そのまま受け入れるに値します.(テモテへの手紙一 1,15)
 哲也さんはそのままを受け入れ,信じました.
 主イエスは,罪人と一緒に食事していた時,正しい人であったファリサイ派がかれを非難した.かれは答えた.
 「医者を必要とするのは,丈夫な人ではなく病人である. 『わたしが求めるのは憐れみであって,いけにえではない』とはどういう意味か,行って学びなさい.わたしが来たのは,正しい人を招くためではなく,罪人を招くためである.」(マタイ 9,13)
 イエスにとって罪人は病人であり,そしてかれは病人である罪人を治すためにこの世に来られた医者です.
 聖書で神の一つの名前は「罪をゆるす神」です(ネヘミヤ記 9,17).罪をゆるす神は一人一人の罪人に,イザヤが書いているとうり,自分のところに帰ることをしつこく頼みます.
 神に逆らう者はその道を離れ/悪を行う者はそのたくらみを捨てよ.主に立ち帰るならば,主は憐れんでくださる.わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる.(イザヤ 55,7)
 主イエスはどんな病気も癒す医者ですが,病人は自分の痛みを隠してはいけない.逆に彼のところに行って,痛いところを見せるべきです.そのときイエスは私達を癒し,罪の重さから潰され,殺されるほどの重たいものを,私達の肩からはずす.そしてイエスはわたしたちの罪を背負い,十字架に運び,最終的に罪を破壊する.
 罪人への天の父の罰は,ゆるしです.放蕩息子のように,主のもとに帰る罪人は,天の父が,彼の方へ走り寄り,“首を抱き,接吻する”のです.無償でゆるしを与えるために天の父の息子であるイエスは十字架上で最後の一滴まで血を流しました.
 姦通と殺人の罪を犯したダビデは詩篇の中で,主がゆるしをあたえるだけではなくて,罪人に喜びを与え,新たに創造し,雪より白くすることを歌っています.
 「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください/わたしが清くなるように.わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように. 喜び祝う声を聞かせてください/あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように. わたしの罪に御顔を向けず/咎をことごとくぬぐってください. 神よ,わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください. 御前からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください.御救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください. わたしはあなたの道を教えます/あなたに背いている者に/罪人が御もとに立ち帰るように.」(詩篇 51,10-15)
 ダビデの祈りに主は応えられます.
 罪人であるイスラエルに主は腹の底からの叫び声をあげられます.この気持をイスラエルの人々に伝えるために,主は預言者エゼキエルに頼みます.
 「彼らに言いなさい.わたしは生きている,と主なる神は言われる.わたしは悪人が死ぬのを喜ばない.むしろ,悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ.立ち帰れ,立ち帰れ,お前たちの悪しき道から.イスラエルの家よ,どうしてお前たちは死んでよいだろうか.」(エゼキエル 33,11)
(ジュリアーノ・デルペーロ.日本語文責:田嶋文)

御国でしかと抱きたわん ― 佐藤哲也に賜った神のめぐみ ―
佐藤しげ子

豊かなる主のお恵みに感謝致します.
 はじめに哲也の手によって,残酷な悲惨な最期を遂げられた被害者様と,そのご遺族様に心からお詫び申し上げます.幾重に言葉を重ねても,頭を垂れても償いようの無い深い罪をお赦しください.社会不安を招き,大きく世間様をお騒がせ致しましたことも重ねてお詫び申し上げます.本当に申し訳ございませんでした.お赦しくださいませ.この度,主のお導きにより,ジュリアーノさんを通して,哲也の信仰を証しをさせて頂けますことを感謝申し上げます.また,哲也の証しを書かせて戴けるまでに,心を整えてくださった神様に感謝申し上げます.
 哲也が執行されて,1月29日で2年を迎えます.私達は 2006年 4月に初めて出会い,7月の終り頃,哲也は私達夫婦の息子となりました.哲也との面会後に知ったのですが,哲也の事件の罪名は,「ドラム缶焼死殺人事件」でした.その残虐さにおいて比を見ぬ事件であったので,足のすくむ思いがしました.哲也は初めて面会した時に,「おれには,愛なんか分からん.今まで誰かに愛されたこともないし,ましてや神なんか分からん!」と言いました.そして,初めてくれた手紙にも,幼少時の両親からの暴力,虐待,学校でのいじめ,そして,「愛を受けたと実感したことがないので,『神の愛』と言われても何のことか分かりません.」と書いてありました.私はその言葉に深い衝撃を受け,私が神様を伝える相手として,哲也をお選びになったことにも戸惑いを覚えました.
 「果たして,私にできるだろうか」との思いでいっぱいになりました.そして,「このことは神様のお導き無しには果たすことができません.どうぞ,お導きください」と祈りました.
 神さまは,本当にすべてをお導きくださいました.毎日面会に行く必要を感じた私は,一番交通費の掛からない方法を考えました.私の住んでいる所は,愛知県,岐阜県,三重県の県境にあり,名古屋拘置所まで,車で高速道路を使って一時間,電車だと一時間半以上掛かります.そこで,毎朝6時30分に出勤する夫の車に一緒に乗って行き,会社の近くから地下鉄に乗って名古屋拘置所まで行きました.哲也と会った時には,もう裁判はすべて終り,あとは確定の日を待つばかりといった状況でした.本来なら3月の下旬頃には確定されるだろうと思われていたようですが,どういう訳かで遅れていて,その間に私が面会に現れたと言っていました.会う回数が重なるにつれて,哲也は色々なことを話してくれました.私が行く前に何人かのクリスチャンの方が面会してくださったと言っていました.
 そして,愛など分からない,神など信じないと言いながらも,「神様が本当にいるというのなら,誰か私に神様を教えてくれる人を現してください」と祈ったというのです.それも自分ではきちんとした祈りと言うのではなく,独り言のようにつぶやいていたような祈りだけど,そうしたら「オカンが来たんだよ」と言いました.
 私は,面会の 2, 3回目で「哲也さんを養子にしてでも,神様のことをつたえます」と言っていました.哲也もそれを望みました.養子にすることで夫の了承を得てからは,「家では息子達はオカンと呼んでいる」と言ったら,自分もオカンと呼ぶといって,それが嬉しかったのか何人かの友人に「自分にもやっとオカンと呼べる人ができました」と手紙に書いて送っていました.
 当時はまだ刑法の新法が施行されてなくて,肉親の他は面会が認められていませんでした.まして,哲也には離婚はしているものの両親もいましたし,姉もいました.その中で私の面会が許されるのは難しいと思われました.哲也に神様の愛,親の愛を伝えるためには,養子というつながりは必要なことでした.
 哲也には,いいえ,これは哲也だけではなく感じることですが,中にいる人達には罪悪感が乏しいということを感じます.福音に触れ,自分の犯した罪の大きさ,深さに気づき主の前に悔い改めをするのですが,悪の霊に振り回された人達の哀れを感じるのが拘置所です.哲也も「俺は,人をだまして物を売ったり,貸してない金を返せと分捕ってくるのが仕事だと教えられたんだから,それは普通のことなんだ」と豪語しました.さすがに私はへこみました.「神様,この子に何をもって悪を教えればいいのですか.」と祈りました.毎朝,夫の車の中で祈りながら,哲也の所に向かいました.
 ある時,「創世記から話しなさい」とひらめきのようなものが与えられました.私は聖書を開き,アダムとエバが神様との約束を破って木の実を食べた話をしました.神様との約束を破ったことが罪であることを話しました.すると,哲也は「約束を破ることが悪いことだということはよく分かる」と言いました.と言うのも,父親(哲也の父親は暴力団の親分で,会社を経営し社長の肩書きもありました)は,数々の悪を命令してさせていたのに,不思議と「人との約束は守れ」とことあるごとに言い聞かせられたそうです.だから,約束を破ることはいけないことだ言うことだけは頭にインプットされている.だから「アダムとエバが神様との約束を破ったことは悪いことと言うのいは分かる」と言いました.それが突破口となり,聖書の話,神様の話を進めていくことができました.
 一方では,「愛が分からない」という哲也に対して,先ずは「受け入れる」ことから始めました.「愛が分からない」という哲也に,自分が気づかない間に受けてきた両親や兄弟,周囲の人の愛に気がついて,神の愛,人の愛を感じ,両親や姉を赦す心を持つことができて,母子三人で心を通じ合わせることができるようになったら,哲也を元の姓に帰らせて上げよう.それまでが私達の使命と夫とも話し合っていました.
 私にも3人の息子がおり,男の子のことならば気持ちも,心理の変化も応じ方も多少は分かると思いました.生まれたばかりの赤子に接するように,成長の過程に合わせて躾を考えました.受け入れて,我がままを聞いて,我慢を覚えさせて,やがては自分のことだけではなく,他者のことも思いやることができるように... 神様に祈りつつ,焦ったり,がっかりしたり,喜んだりしながら時を過ごしていきました.
 当然のことながら,哲也も葛藤しながら忍耐したり,努力をして,神様のことをもっと知りたいと聖書を読んだり,学んだりしました.有難い事に,中では教戒師の先生のご指導を仰ぐこともできました.だから,私の言うことに疑問を持っても,教戒師の先生が同じことを仰ると「先生もこう言ってみえたよ」と納得するのでした.
 手元に哲也の残したノートがあります.中々ノートを見ることが出来ませんでしたが,この証しを書くに当たって目を通してみました.哲也の気持ちの動きが現れていると思いますのでここに記したいと思います.日誌ではないので,日付もかいてないのですが,哲也の信仰と心の変化が表わされていると思います.

「聖書とは?
人に帰るべき所があり,その場所へ行くまでの地図であり,道順を教えてくれるものだから,間違えると崖に落ちたり,迷ったりする.」
「 大体のひとは,毎日,一日一日を目の前にあることをやって過ぎていく.例えば,サラリーマンなら仕事をし,家に帰って寝る.時には友人とバカ話をしつつ酒でも飲み,上司の愚痴を言う.子どもがいれば,子どもの成長を楽しみにして生きてゆく.そう,大体が生きていることを考えるはないし,死も深く考えることがない.生きる意味など考え出したらキリがないし,死を考えだしたら恐怖するから,考えないようになっているのだろう.生きる意味を考え,無意味だと分かったらやはり死ぬしかないのだろう.」
「幸ちゃんに伝えたいこと.(共に執行された友)
親友の意味を教えてくれてありがとう.
裏切って申し訳ない.また,出会えたら,今度こそは,本当の親友になろう.幸ちゃん,すまない.そして,ありがとう.」
「理想像.
 ・話すことを全てうけとめてくれる.
 ・殆ど全てを話してくれる.
 ・決め付けることはしない.
 ・有言実行.
 ・間違いと思ったら直ぐに詫びて正す.
 ・何事も一度相手の立場になって考える.」
「 私は許してほしいのか?と考えた時,『そんなことはどうでも良い』と思った.私は許せるのか?と考え時『許せない』と思った.許せないから許してもらう必要はない.私は,反省や償いはない.ルールを破った.だから,退場しなくてはならない.ただ,それだけである.その覚悟が今まで無かっただけである.現在,その覚悟が出来たようなので退場することにする.今,殺害したお二人を前にして『何か言うことは無いか?』と聞かれたら,『ごめんなさい.』と口にする.つまりそういうことなのだろう.悪いことをしたとか,あーだ,こーだと言うより『ごめんなさい』なのである.では,ご遺族を前にして『何か?』となると,何も言わないである.言えないではなく,言わないである.多分人は私にあらゆる罵声を浴びせるだろう.私はそれをただ聞くだけのことしかできない.やはり,悪いとは思えない.世間ではこれを聞けば,『家族を奪ったのだから』等々言うだろう.しかし,私が家族を奪われても,何も思わないのだから,悪いと思いようがないのである.だから,私は,世間を許さないし,許して欲しいとも思わない.」
「償い.
他の犯罪と違い,殺人に対しての償いというのは,『これが償いだ』とは誰も言えない.だから,加害者が『私はこれが償いと思っている』と言い切ってしまえば,それが償いとも言える.例えば,独房の中で一日中写経をし,日に3度くらいお経も唱えることを,その者が償いと思えば,それは償いである.ただし,それには『私は償いをするのだ』という確固たる思いがいる.遺族に対しての償いというのは,殺害した人を帰す以外にないのである.それができないのだから,許してもらおうなどと考えることが間違いなのだ.
だから,加害者が自分で償いと思うことをやるしかないのである.許してもらえないと知りつつも,許しを求め続ける.死ぬことを知っていても,生きようとする.『どうせ死刑なんだから』ではなく,自ら死刑を求める.私にとって,殺人は盗みや詐欺とあまり変わらないのだろう.だから,罪の意識も余りないのだ.」
「 愛と愛情は違う.愛はただそこにある.愛情は,情という余分なものが付いてしまっている.キリストが言っているのは,愛であり,愛情ではない.キリストでさえ,人の姿をしている時,完全な愛を与えることは出来なかったのだろう.だから,死によって完全にする必要があったとも解釈できる.」
「 やはり,私は死ぬのが怖い.殺害した人達に,この恐怖以上の恐怖を与えたことは間違いないことなのだ.だから,被害者を前にしたら『ごめんなさい』と言う.」
「 私の中で,全ての犯罪は同一だった.万引きだろうが,殺人だろうが,根本にあるのは,警察に捕まるか,捕まらないのかの二択である.つまり,警察に捕まらなければ何をやっても良い.この考えで生活してきた.
しかし,違うのである.物には思い入れがある.そのため,盗られれば怒る.私にとって,人もそれと同じと思っていたが,人と人には情があり,絆があり,物とは違う様々な関係があるのである.そう考えた時,物と人には,明らかに違いがあることを知った.」
『罪人たちでさえ,自分を愛する物を愛しています.』
「 私は死にたくない.死ぬのは怖い.それが分かった.だから,再審請求取り下げなければならないことを知った.再審請求を取り下げるということは,死刑台の階段が13段あるとすれば,今,一段目だが,一気に10段くらい上がるようなものである.しかし,この恐怖を,私は,知って,知って,知り尽くして執行されなければならない.」
「 人の形としては,完全な愛は『死』のみであり,生きている以上はどうしても愛情でしかないことを,イエスは伝えたかったのだろう.」
「 私の執行までの残された時間が,私に許される生きている間に出来る償いの時間だと思っている.つまり,再審請求という暗黙の執行されない時間というのは,私にとっては,楽以外の何物でもないのである.」
「 私が考える周りの人の中で,とに角何を置いても考えなければならないのは,被害者の方のことであり,ご遺族のことです.それを後回しにして,幸ちゃんのことや,他の迷惑を掛けたひとのことを考えることは,私には許されません.」
「 幸ちゃんは私が,『今の生活が辛いから,死ぬことにした.』と言って執行されれば,私を許さないだろうが,今の私の気持ちを,つまり『生きているのが楽しいから,執行されることにした.』ということを知ってくれれば,必ず許してくれる.」
「 私は言わなくても分かってくれるだろうと,自分で勝手に思ってしまったことを,今まですべて省いてきた.本来,言わなくて分かってくれることなど無いのであろうと,今は思う.」
「 母は知らない.私がどれだけ『再審請求をしたい』と言いたいか.どれだけそれをガマンしているか.私にとってはやはり,再審請求というのは甘い汁でしかないのだ.」
「 どれだけ死刑は嫌か.母さん,助けてと言いたいか.その恐怖を母に知られないために,どれだけ感情を隠しているか.」
「 私が死刑になることで,ご遺族の気が少しでもまぎれるなら,何時でも執行してくださいという気持ちは,心の芯に常になければならない.」
「 再審請求というのは,私にとっては,ずーっと文句を言って生きていくようなものである.」
「 以前の母の言葉には,愛情,優しさ,怖さ,重みがあった.今の母の言葉には,愛情と優しさは感じるが,怖さと重みがない.」
「 私の理想として『過ちを犯したら文句は言わない』という思いがある.私の中で,再審請求というのは文句を言っているのと同じだと思った.これがやってないことならまた違うのだろうが,私は殺したのだ.私はご遺族に『何故,再審請求をしているのか』と言われた時に,答えることが出来ない.私はこの中にあって,何か信念に添って生きると言うことをぼんやりと掴んだ気がしている.はっきり言えば,執行が怖い,出来れば生きたいと思う.しかし,私は自分のことを知ってしまい,犯したことの重大さを知ってしまった.この中では,たとえ一円の金がなくとも生活が出来る.このままずるずると生きていくと,私は上辺だけの反省の振りをして,楽をしてしまうのである.それを今の私は許すことができない.この私の思いや,考えの一つ一つには,常に養母の怒りや,愛情,悲しみがあり続けました.それは,2年と少しの間でしたが,深い深いものでした.その深さは,30年の長さを埋める以上のものでした.人は人と接する時,その長さに捕らわれがちですが,深さでも,長さに勝ることを知ってくれれば幸いです.最後になりましたが,今,私は,心の中から,自分のしたことを悔いており,ご遺族の方に深い苦痛と悲しみを味わわせたことを,心の底から申し訳なく思っております.」

 哲也は執行される2ヶ月程前から,私の面会拒否をするようになりました.執行の時,拘置所の中の父と尊敬し,慕っていた第二統括さんの同席を拒んだそうです.哲也の手記を読むと,心を乱したくなかったのだなと思いました.
 哲也には充分なことがしてやれず,今でも哲也を思い出す時,「ごめんね」と言います.一日とて哲也を思わない日はありません.
 哲也は私が言うのも恐縮ですが,賢い子でした.一を言えば十を知るような子でした.何度神様に,「どうか私に下さる子なら,もう少し早く頂きたかった」と呟いたことでしょう.
 いじめと受け入れてくれる大人がいなかったことから,学校に行かなくなり,文字を書くことも拘置所に入ってから覚えたそうです.
 哲也は心を開いてからは,素直な子でした.出会ってまもなくに,「俺は一つ神様と約束したことがあるんや.それは,これからは嘘をつかないというということ.特にオカンには嘘をつかない」と言って,本当に嘘をつくことはありませんでした.
 死刑囚という立場なので仕方の無いことでしょうが,まだ,再審請求を取り下げる前のことでしたが,執行後の連絡先は,誰に最初に連絡するのか,遺体のままで引き取るのか,遺骨にしてからか,遺品は全部引き取るのか,一部か... など.余りのもそんな話が続くので,「まだいつのことか分からないことを,そんなに急いで言わなきゃならないの?」と尋ねると,「ちゃんと報告しなきゃいけないから」と答えました.そんな時,「この子は常に,自分の命がいつまでなのかという不安と恐怖に圧されながら生きているのだな」と不憫になり,抱きしめてやりたいと思いました.
 面会室であう姿は,哲也の一面であり,このドアの奥ではどんな思いで,環境で過ごしているのだろうと思うものでありました.私に宛てた遺書には,「お母さんが召される時には,私が主にお願いして迎えに来ますからね」と書いてくれました.とても楽しみにしています.
 2009年 1月29日,哲也は執行されました.その前のまだ,松の内の5日に,母親と姉が面会に行って,それはそれはまったりした,哲也が幼い時のような良い時間を持つことができたそうです.それを聞いて,私は主が私の祈りに応えて下さったと感謝いたしました.確かにわが子を取られたような一抹の寂しさは感じましたが,私は主が良しとしてくださる日まで,哲也をお預かりしたにすぎません.
 葬儀は教会で上げて欲しいという哲也の望み通りに,教会で行うことが出来ました.その時,はじめて哲也の冷たい頬に触れることができました.遺骨は,哲也の希望通り,お母さんとお姉さんの元へ連れて帰って頂ました.
 いつも,私のことを「養母」「義母」と表現していたのですが,手記を読んで本当に不安な時,助けて欲しい時「母」と呼んでくれていた.哲也の不安を感じながらも何もして上げることができなかった,自分の不甲斐なさを申し訳なく,すまなく思い「ごめんね」と謝ることしかできないのです.
 神様の恵みに感謝することは,哲也の最後の姿です.かねてより,「最後の時には,冷静にお世話になった皆様方に『ありがとうございました.お世話になりました』とお礼を言って死にたい」と言っていました.私はその度に「大丈夫だよ.必ずそう出来る.お祈りしようね.その時にはイエス様が一緒にいてくださるからね.大丈夫だよ」と言いました.後で,哲也も幸ちゃんも,その場にいてくださった方々に「お世話になりました.ありがとうございました」ときちんと頭を下げて,お礼を言うことが出来たと聞いて,神様に感謝致しました.
 神様が哲也を,我が家の息子に加えてくださったことを感謝します.末筆ながら,生前,哲也とお付き合いくださった皆様方,本当にありがとうございました.哲也に代わり衷心よりお礼申し上げます.
 「 在りし日に 触れ能はざる吾子なれど 御国でしかと抱き給わん」
 主と共に.

被拘禁者更生支援ネットワーク,麦の会

 麦の会は1980年9月1日,死刑廃止を目的に「日本死刑囚会議=麦の会」として結成され,2009年8月1日,「被拘禁者更生支援ネットワーク=麦の会」へと発展的に改名され,事務局を聖ペトロ・パウロ労働宣教会に置くことになりました.
 「麦の会」の名前は,1980年,死刑廃止を目的に拘置所の中の5人の未決死刑囚の人たちによって結成,発足メンバーの中にキリスト者がいたため,聖書のヨハネによる福音書12章24節の「はっきり言っておく.一粒の麦は,地に落ちて死ななければ,一粒のままである.だが,死ねば,多くの実を結ぶ.」からとり,会員一人一人が自己犠牲の精神で自ら不利となってでも死刑廃止のための一粒の麦となるという目的をもって命名されました.
 死刑問題を閉鎖された世界から解放するために,死刑囚・未決囚・受刑者・獄外者といろいろな人をつなぐネットワークを展開し,死刑問題に加え,更生を目指す者の支援をして犯罪を減らす事,犯罪被害者や御遺族への謝罪をし和解への努力をする事,人間の尊厳や更生を阻害するような行き過ぎた処遇の改善を求める事を目的とし,麦の会通信「和解」を発行しています.また,獄外者に広くご協力を求め,死刑囚の心を支え,獄中者の内面からの真の更生の支えとなるような文通や面会を継続的にして,一人一人の獄中者との人格的なつながりを育む根を張った活動をしています.
 2012年は,衆参両院へ「犯罪被害の減少及び受刑者の更生を実現することに関する請願書」,「受刑者の円滑な社会復帰の基盤整備によって再犯減少を実現することに関する請願書」をそれぞれ国会請願書として提出し受理されました.昨年に引き続き,社会構造的な問題への改善努力です.
 獄中会員への内面的な支えの一助として書籍・冊子を継続的に,年間で 4000 - 5000冊お届けしています.生き方の方向性が根本的に変わり,生きる支えになったという声が寄せられています.また,死刑廃止・更生支援の補助として「書籍支援コーナー」を開設し,活動の質の向上を図っています.
 監獄人権センターに配布の許可を頂いて「社会復帰のためのハンドブック」を配布可能な獄中会員へお届けしました.円滑な社会復帰に向けた現実的な準備を始める一助になればと願っています.感謝の声も多く寄せられています.
 獄中会員一人一人に,バースデーカードをお贈りしています.一人一人がそれぞれにかけがえのない尊い存在であるという思いと祈りが込められています.
 死刑囚の心の支えや更生支援の一環である文通プロジェクトの目的やルールを明確にする「文通心得」を作り,趣旨に沿って実りある活動内容を生みだし,もう二度と再犯に走らないように,犯罪や死刑という不幸の極みが一件でも減るようにと心から願っています.
 死刑廃止を本当に実現するためにまず必要なことは,地味だけれど,日々の学びを重ねつつ自分に向き合い,意見の違う目の前の他者との意見交換や調整をし,一人一人と心をつなげ,より良い社会をつくっていくという粘り強さが欠かせないと考え,麦の会では機関誌「和解」を通し 1300人の読者に問題提起を重ね,対話や意見交換,議論を求めています.上ばかり見ず,まず目の前のことからきっちり向き合って活動しています.
 麦の会は当事者を含む皆で心と力を合わせて死刑廃止を目指しています.死刑に直面している方の入会を大募集中です.また,活動を資金面から支えて下さるサポーター(獄外会員),ボランティアスタッフ,文通支援者を大募集しています.死刑問題や更生に関心を持って下さる方,「少しのカンパ」でも「少しの事務」でも「一通の文通支援」でも助かります.ぜひとも,まずはお気軽にご連絡ください.
(麦の会事務局)

全人格的にかかわることの大切さ ― 思い込みではなく,麦の会の文通プロジェクトを通して ―
麦の会代表 伊藤玲雄

 2009年から,被拘禁者更生支援活動をする「麦の会」の事務局を聖ペトロ・パウロ労働宣教会 (MOPP) 内に置いて下さいました.犯罪をおかしてしまい,独房の中で反省の気持ちと,生まれ変わりたい,自分の人生を変えたい,許されるならばやり直したいと内心では願いつつも家族,友人,社会からみはなされ,人とのつながりが絶たれた状態で人生を絶望の中に過ごしている獄中者がたくさんいます.私自身も大きな事件の加害者として獄中生活を送っている者です.
 麦の会では,外部のボランティアに協力していただき,文通を通して獄中者に一人の人間同士として関わりを持ち,更生支援をするプロジェクトを行っています.
 確かに獄中者は大きな過ちをおかしてしまいましたが,だからといって孤立させて劣悪な環境に置いて懲らしめるのでは施設や社会に対する反発や敵がい心だけを増進する結果になりがちで,更生にとって逆効果です.ほとんどの獄中者がいずれ社会に戻ってくることを考えれば更生が非常に重要だということが理解できますが,反省は一人でできても更生は一人ではできません.本当に更生を考えるならば,人と人を繋ぎその関係を結び直す工夫をしながら,その中で獄中者が人に大切にされることで少しずつ閉ざされていた心を開いていき,人間らしい心を取り戻していき,なぜそんな罪をおかすことになったのかをきちんと解明してモノの見方やこころのゆがみを解きほぐすことが欠かせないし,最も効果があると思います.
 テレビのワイドショーを観ていると,犯罪者たちはわたしたちとは全く心が通じあえない理解不能で更生は絶対できない存在であるというイメージが刷り込まれがちです.しかしそのイメージは,獄中者と関わったことのない人が抱く完全に誤った思い込みでしかありません.実際に獄中者に一人の人間として関わっていくと,実に多くの方が「ほんとうに,人との出会いやつながりによって必ずどんな人でも変わる」ということを全身で理解し納得して下さいます.獄中者は理解不能な存在というよりも,基本的な教育不足か,そうでなくても幼少期に虐待,育児放棄,性的暴力,いじめ等々の暴力と支配の中で育ったか,愛された実感に乏しかったり,親族の自死を体験する等々により魂が殺され,押し潰され,むしろ思春期や子供時代に乗り越えておくべき情緒的,社会的課題につまづいたままでいる人びとであるという印象を持ちます.
 全ての人は共に支えあいながらでしか生きていくことができませんが,それは獄中者も同じであり,文通プロジェクトは人と人が出会う場,関係のないところに関係をつくる場,人と人の関係を結び直す場づくりという意味合いも大きく,文通ボランティアが関わってくれることによって獄中者は驚くほどに変わっていきます.どんな人でも,全人格的な関わりによって,人は必ず変わる,という現実を麦の会スタッフはこれまでにも山のように見てきましたが,つい先日,文通ボランティアから届いた声を,その一例としてご紹介します.
 彼は小学5年生で任侠の世界に入り,ずっとヤクザの道を歩いて来た方でした(今は70代です).他の獄中者の方との文通は割とスムーズだったのですが,彼だけはどうしても意思の疎通ができず,ぶつかることが度々でした.短気な私は,つい「刺青こわかったら文通なんかしてませんよ!そんなんどうでもいい.被害者の方を世の罪なんて言わないで自分のしたことに正面から向き合って下さいよ」的な手紙を送ったところ,向こうもかなり逆上したのか,もう私のこと呼び捨てで(笑),私の送った手紙全部返してきて,1年つづいた文通が一旦停止したんのです.文通ストップから1年経ち,私の気持ちも大分おちついて,更に玲雄さんのアドバイスに,やはり素直に仲直りしようと!と勇気をふりしぼった訳ですが,その後も相変わらず,「世の為,人の為につくる罪ならば地獄の炎も我恐れまじ」という「でたー!!!」っていう信条がまた出てきてしまって... もうね,毎回ポスト見て彼からの手紙見る度に胃が「ずしっ」って重くなるんですよ.今度はどんな大義名分が... あ~また口論になっちゃうのかぁ.でもここで文通また止めたら本人の為にも良くないと思い,もう切々と訴えました.聖書の教えとか正義とかじゃなくて,一人の人間として幸せを目指して生き直して下さいと.あなたが幸せになっていたら仁侠だろうがキリスト教だろうが何をどう信じようとかまわないのですが,結果として全く幸せになっていない.もうとにかく色々と話したところ,すぐに返事が来て,「自分がいかに愚かだった身にしみました.毎日,祈りと反省の日々を送りたいと思っています.私の仁侠のことはもう終わりにしてもらえませんか?そのかわり神様のことを教えて下さい」とまで書かれており,もう涙,涙ですぐにお返事を書きました.「人は変わる」と玲雄さんは言って下さったけれど,こんなに早く,その意味を知る事になるとは思わず,ビックリと喜びで一杯です !!
 彼に起こった変化は,私にとっては奇跡としか思えませんでした.その位かたくなな方だったのです.神様ありがとうございます.この人の中に,人を信じようとする純粋な心が芽生え,何十年も捨てられずにいた思想から解放されたことは素晴らしい恵みだと思っています.まだ完全に自由になった訳ではありませんが,彼はこれからどんどん変わっていくと思います.本当にうれしく,感謝の一言以上に言う言葉が見つかりません.
 文通をしてくれる人を求めている獄中会員はまだまだおられます.話だけでも一度聞いてみようと言って下さる方がおられましたら,聖ペトロ・パウロ労働宣教会 (MOPP) までお問合せ下さると大変ありがたいです.

「赦し:その遥かなる道」
チョウ・ウクフィ監督
DVD を観賞しました

 この映画は,韓国で撮影された,上映時間100分のドキュメンタリー映画である.韓国の3組の家族を撮ったものである.けれどもこの3組の家族は,普通出会ったことがない特別の事情をかかえている.連続殺人犯によって,ある日,突然,家族の3人(母,妻,長男)を殺されたコ・ジョンウオンさん,頼りにしている長男を殺され,そのショックで弟二人が自殺してしまった,という状況にある父子家庭の家族,そして一人娘を婚約者に殺され,その婚約者自身は自殺してしまったという家族.大切な人を理不尽な残虐な行為で突然奪われ,残された人は,犯人への憎しみと埋められない虚無と絶望の中に突き落とされる.コ・ジョンウオンさんはカトリック信者であるが,信仰もなんの支えにならない.日々のたうつ.ただひたすら望むことは,自分自身も死んだ人達のところに生きたい,ということだけであった.
 しかし,ある日,犯人のことを赦そう,という気持になる.そういう気持ちが生じてきた時に,気がついてみると,自分の気持ちが楽になり,死にたい気持が遠のいていた.しかし,残された娘達二人は,その父の変心を到底理解できず,父のことを受け入れることができない.コ・ジョンウオンさんは,その新たに生じた対立に苦しみつつ,さらにアメリカでの被害者の会に参加し,そこで衝撃的な出会いを体験する.
 このドキュメンタリーの優れている点は,熾烈な体験を経た被害者の心情をありのままに撮りつつ,撮り手の側で意図的にある方向に持っていこう,としてない点である.ただ事実そのものを追い,その結果,何をどのように考えるかは,すべて見るものに任せているところである.だからこそこの映画を見たものは,「あなた自身はこれをどう受け止める?」という問から逃げることができない.一つの思いがけない厳しい現実の前に立たされたとき,その人が受け入れ難い出来事をどう受けとめ,歩いて行くのか.それへのマニュアルはない.この映画は,見るものに大きな問いを投げかけている.考え続けないわけにはいかない問いを.
(T.M.)

古い友人からの手紙
Yukiyo(ニューヨーク在住)

Caro Giuliano,
 先日,「きかよん」とキリスト教美術の冊子を受け取りました.忘れずに送ってくれて,どうもありがとうございます.特に,きかよんは大変興味深く読ませてもらいました.おそらく今回「ゆるし」をテーマに選んだのは,最近日本では連日のように起っている猟奇的な殺人事件の報道とそれに対する極端な一般市民の反応があるからでしょう.
 「ゆるし」というのは,宗教の基盤が弱い日本では,なかなか理解されない概念だと思います.他の宗教では「ゆるし」がどう扱われているか知りませんが,キリスト教に於いてはとても重要なテーマなので,キリスト教圏では凶悪事件が起きた時には必ずと言っていい程,持ち上がって来ますよね.
 色々な例を用いて,なるべく分りやすく説明をしようとする努力が「きかよん」を読んでいてかんじられました.実際に事件に巻き込まれた人々の体験から「ゆるし」について学ぶ事は重要だと思います.ただ,いくつか重要な点に触れられていないとも感じました.
 まず,第一に,日本に住んでいて,最近の日本のマスコミ報道を見る限りでは,日本では殺人が急増しているように誤解されがちですが,それは大きな誤りです.統計によれば,今でも日本は世界中で最も治安の良い国の一つであり,2007年度の日本の犯罪件数は第二次大戦後最低でした.加熱しているのは,むしろ異様な程の執着ぶりを見せている事件の報道の仕方だと言う事です.ところが,殆どの日本国民は,そんなデータなど知らないので,日本は治安が悪くなったと思い込み,どうにかして治安の悪化を食い止める為に,死刑を犯罪の抑止に使おうとしています.
 そういう犯罪に対して,神経を尖らせている一般市民の声を反映してか,犯罪事件に対する判決も最近重くなっているように思えます.本来,司法機関は全く独立した機関であり,裁判官が感情や世論に流される事は,大いに憂うべき事態なのですが,日本では,だれもそんな事は気にしていない様子です.それどころか,容疑者を弁護している弁護士にまで,脅迫状を送りつけたりする事がまかり通ってしまう世の中は,大変不気味です.
 もう一つ「きかよん」で気になった事があります.幼児性愛者に対する「ゆるし」の記事がありましたが,それだけは読んでいて,吐き気がしました.残念ながら,様々な事例を見る限りでは,幼児性愛者の性のし好はいくら治療を受けても,本人が努力しても,決して変わる事がないようです.そもそも,「ゆるし」は自分の心を様々なしがらみから解放する為のものだと私は思っています.自分が幼児性愛者をゆるす事ができたからといって,幼児性愛者の性癖が変わったという確証は何もありません.いくら刑期を終えたから,自分がゆるしたからといって,幼児性愛者を子供に近づけるのは,あまりにも無謀だとしか言いようがないでしょう.信仰の力もどれかけ幼児性愛者に有効かどうか,大いに疑わしいところです.もしも,信仰が幼児性愛者に有効ならば,アメリカで何十年もの間,カトリックの聖職者が行って来た信者の子供に対する膨大な数の性的暴力は,そもそも起らなかったはずですから.
 何故日本がこれほどまでにゆるさない社会になっているのかは,一般市民の幸福度がかなり低い事と無関係ではないと思います.私はストレスレベルの高さでは世界でも指折りの都市,ニューヨークに住んでいますが,それでも私のストレスは殆どの日本人のストレスと比べるとかなり低いと思います.長時間の労働や個性を抹殺するような閉鎖的な社会では,ストレスがたまるのも無理はないでしょう.しかも残念ながら,日本のストレスは,年々増加の傾向にあるようです.
 最近,大変興味深い記事を見ました.聖職にあり,celibacy を貫いているジュリアーノさんにセックスに関する話題を振るのは大変申し訳ありませんが,今の日本を表す一つの象徴的なデータだと思うのであえて書きます.アメリカの Durex というコンドームを製造している会社は,世界中の約40カ国以上の人々に,セックスに対する調査を毎年行っています.その結果,日本人は毎年,ダントツで一番セックスをしない国民になっています.毎日忙しすぎて,セックスをする暇もない,たとえ暇があったとしても,ストレスレベルが高すぎて,セックスなど考える心の余裕もなくなってしまうんでしょうね.日本人の性の初体験の年令が他国と比べて決して低いわけではない事を考慮すると,「日本人はオクテである」というのは理屈にはならないでしょう.
 ストレスの高い生活,自分をゆるしたり,ありのままの自分を受け入れる事が出来ない心,高い自殺率,セックスをしなくなった国民,何かが歪んでいます.私には,キリスト教がそんな日本の現状を打開するきっかけになるかどうかは分りません.おそらく,魔法のような唯一の解決策というのは存在しないと思います.
 私も,ジョナサンも,サミュエルも,みな健康で過ごしています.サミュエルは,今度の8月の末で5歳になります.4月から土曜日の日本語補習校へも通い始めて,日本の文化を学び,自分が日本人である事も理解し始めているようです.今度の9月からは,現地のキンダーガーテンへ入学になります.感受性の豊かなとてもいい子です.
 今年中には,日本へ帰れないと思いますが,来年の2月頃に出来るだけ長く(仕事の暇な時期に出来れば一ヶ月程)帰国できればと思っています.
 長文になってしまい,失礼しました.
 健康にお過ごし下さい.
  Yukiyo

「誰ひとりとして私の敵ではない.」
劉暁波 (Liu Xiaobo) さんの言葉

劉暁波 (Liu Xiaobo) さんは,2010年度ノーベル平和賞の受賞者です.「この受賞は天安門事件で犠牲となった人々の魂に贈られたものだ」と彼は語りました.

 しかしながら私は,私から自由を奪っているこの体制に言いたい.20年前,6月2日のハンガーストライキの声明の中で私が言ったことを私は繰り返し主張すると.
 すなわち,私は敵を持っていないし,憎しみも持っていない.私を監視し,逮捕し,尋問したいかなる警官も,私を起訴したいかなる検事も,私に刑を宣告したいかなる裁判官も,誰ひとりとして私の敵ではない.私は敵だと思っていない.そして,たとえあなた方の監視や起訴,あるいは判決を私が受け入れられなくても,私はあなた方の職業や人格を尊重する.
 このことは,現在検事である Zhang Rongge 氏や Pan Xueqing 氏についてもいえる.私はあなた方が12月3日(注 : 2009年)に私を尋問した時,敬意と公正さをもって臨んだことを覚えている.
 というのは,憎しみは,良識や一人の人間としての意識(良心)を蝕み,敵意の感情は,国の理念を汚染しかねないし,生きるため,死なせるための闘争にかりたて,寛容さや社会における人間性を破壊し,ひとつの国が民主化や自由化へと前進するのを阻害するからだ.
 私はそういうわけで,国家の発展と社会の変容を思って,私の個人的な浮沈を超越したいと望んでいる.そして誠心誠意をもって,体制の敵意に反抗し,愛をもって憎しみを和らげたいと望んでいる.

ヤクザから牧師への道
進藤龍也牧師講演会(2011年2月5日)

主なる神は言われる.
「私は悪人が死ぬのを喜ばない.
かえって,悪人がその罪を悔い改めて
生きるのをわたしは喜ぶ.
立ち返れ!立ち返れ!お前の悪しき道から.
イスラエルの家よ!(進藤龍也よ!)
どうしてお前は死んでもよいのだろうか」.
(エゼキエル書 33,11)
わたしはこの言葉で悔い改め,神様の愛を知ったのです.

進藤師のお祈り:
天と地と海と海の中のすべてのものを作られた私たちの父なる神様.
あなたの御名をほめたたえます.
あなたはすべてにおいて,王の王であり,主の主であります.私の命の根源でもあります.
どうぞ今始まりますあなたとの時間において,命が間違いなく完全に私の心に豊かに灯りますように.
また信仰を持っている人は,その信仰を燃やし,信仰をまだ掴んでいない人には,必ずやあなたの信仰の火が映りますように.
カトリックもプロテスタントもない,同じ神様,同じ救い主,同じ聖霊をいただいている者同士が,共にあなたを賛美し,ひとつになることができますように.
我らの救い主,イエス・キリストの御名によって,祝福してお祈りいたします.アーメン

ジュリアーノの話:
 きょう,いろいろな所から集まった私たちは,神様の良さを進藤さんを通して感じられることでしょう.
 神の御業は,目立たないけれど,気づかないけれど確かにあるのです.
 皆さんにお知らせしたいことがあります.
 私たちの小さいグループ「麦の会」は,刑務所の人たちの為のものでありながら,外にいる人々に何かを伝えるものでもあるのです.この人たちのことを支える為には,聖書を献本したり,面会したり,衣類を差し入れたり,いろいろと方法はあります.その中でも,一番重要なのは,文通することです.刑務所の自由時間は,たっぷりあります.
 彼らは,何枚もの便箋に書いて分厚い手紙を寄こします.独りぼっちで過ごす彼らにとって,自分宛に届いた手紙は,太陽ほどの大きな光です.自分は生きていると,まだ大切な存在であると感じられる素晴らしいものなのです.文通している受刑者は,305人位,外で返事を書く人は,140人位です.けれども20人以上が,未だ文通の機会を待っています.
 現在,刑務所内の「麦の会」メンバーは355人,外で支えている人は,315人位います.
 毎年3回,機関紙「和解」を出版していますが,内容は,受刑者たちの作品(詩,絵,手紙)の発表の場でありながら,外にいる私たちに多くのことを感じさせるものでもあるのです.本当に神様の大きな恵みをいただいています.「麦の会」への入会を歓迎します.
 そして,どうぞ「和解」の購入を通して活動を支えてください.

進藤師のお話:
 こんなにたくさん集まってくださってありがとうございます.
 私は,三度も刑務所に入っていますので,中の様子は,よくわかります.
 彼らは,時間がたくさんあるので,分厚い手紙を寄こします.どうやって生きたらよいのか,本当に天国はあるのか,さまざまな内容です.しかし私はひとりで70人を担当していますので,長い返事は書けません.便箋一枚がせいぜいです.
 私が行っていた神学校では,レポートを便箋一枚に書かせました.400字詰原稿用紙では,三枚程度に納めなさい.と言われました.短くまとめるほうが難しいのです.
 私の師事する中野雄一郎先生は,レポートをはがきに書きなさいと言いました.要点を主題を本論を書きなさいということです.それで満足できるものを提供するのが私の使命です.
 そうして「麦の会」の皆さんのように文通を続けます.その先にあるのは,良い心の土壌作りです.種は,良い地に蒔かれなければいけない.刑務所の中で信仰を持ったとしても,鳥がやってきて食べたり,茨に絡まって芽が出ないようではいけないのです.良い土壌を作るために私たちは文通しているのです.
 Christian Today 誌に新年の抱負を書きました.タイトルは,「気づきとチャレンジのある年に」です.気づきとは何でしょう?信仰を持つということと,信仰を持って社会に出るということは違います.プロテスタントでは,礼拝出席者が人口の 0.2 % - 0.4 % です.しかし,洗礼を受けている人は 5 % もいるのです.
 私たちは,天の相続人です.キリストを長男として神の家族となって行きます.兄弟姉妹は,ヤクザだけじゃないんですね.私は,ヤクザから,十字架と復活の世界へと入りました.
 クリスチャンは,ヤクザの世界に似ているなと思います.
 外国では,マフィアから神父様になった人がいますね.アウトローの世界に近いんです.悪に強いものは,善にも強いんですね.聖書の字面なら読むだけで分かるんです.ただ信仰者は,これを頭に入れて実行することが大切なんです.ユダヤ人たちにとっては,頭じゃない,手ですることが考えることでした.いかに忠実にやっていくかです.
 私は,導かれるままに語ります.私たちの罪,咎,呪い,病い,恥までイエス様は負ってくださった.黄泉にまで下ってくださったのです.私たちが下る必要はないんです.安心して落ち込みなさい.イエス様が地の底にいてくださいます.中島みゆきの歌を聞いて,底の底まで落ち込んで「イエス様!」と言って,復活のイエス様と一緒に,上がってくればいいんです.
 人間は,悲しい時に悲しみ,泣きたいときに泣くもの,そこにイエス様がおられると思うのです.私は,精神的なドMですから,苦しい時,辛い時こそ,「なんで生まれてきたんだ.」とヨブのようには嘆かない.天国には,苦しみも涙もない,今だけしか味わえないんです.
 人工中絶,死刑,私は信仰に基づいて反対します.いのちだからです.
 パウロが言ったように,見えざる神.誰に祈っているか分かりますか?
 私たちは,神に信頼しています.受刑者が,生きているうちに悔い改めるかもしれないのに,私たちの道徳によって命を取ることはない.神が永遠の裁きを与えます.神の権限によらず命を取ることはないと思います.
 私は,富山,岡山,石川,静岡,あちこちの刑務所に行って,礼拝をして,忙しくしています.こんなヤクザあがりの人間を神様は使ってくださる.それは,忠実だからです.いのちがそこにあるからです.
 日曜日を中心に生きるようになってから,財布を失くさなくなりました.
 神の戒めを守っているから,相続人になるのです.プロテスタントの人は,祈りに関して強欲なイメージ.カトリックの人は,静かに祈る.どちらでもいいと思う.異言にさえも神を感じるのです.聖霊が感じられるのです.
 ヤクザ社会と似ているのは,親分に「はい」ということ.「いいえ」はない.そして,他人と兄弟になります.男社会であることも似ています.親分の奥さんは,姉さんです.
 イスラムは,いまでも男尊女卑の社会です.ヤクザの社会は,徹底しています.刃向かう者に立ち向かうのです.一やられたら十返します.負けたら終わりだからです.
 私たちは,サタンに立ち向かわなければいけません.そうすれば,サタンは逃げていきます.集会の後など,人の悪口を言ったりするのは,サタンに餌を投げていることになるのです.そんな話は聴かない.という意思表示をしたほうがいいのです.その人の為に祈りましょう.それがキリストが喜ばれることです.ヤコブは,「罪を言い表しなさい.互いの罪を許し,癒してくださる神がいるのだから,神に許していただきなさい.癒してもらいなさい.」と言っています.隠している罪があるなら,サタンは,それを足場に私たちを蝕むのです.プロテスタントにはないけれど,「告解部屋」で素直に祈りましょう.神父様が一番辛いのは,守秘義務だと思います.誰にも言えないのです.「神様,あの人を私を哀れんでください.」と,サタンを倒すために祈り倒すしかないのです.
 先日,立正佼成会で講演をしました.福音を語りました.十字架と復活の話をしたんです.二度と呼ばれまいと思ったら,また呼ばれることになりました.ハレルヤ!そこで,「牧師さんは,法華経を生きていらっしゃいます.」と言われました.なんだかわからないけど,「ありがとうございます.」と言いました.「法華」とは,慈悲なんだそうです.愛ですね.
 私のところでやっている「ドミニストリー」という講座があるんです.そこの献金を使って,刑務所を出た人に,家賃13万円の部屋を借りてあげました.残り19万円です.「本当は,あなたに奉げたいけれど,お金が必要な他の人の為に,毎月一万円でも返してね.」と言いました.
 刑務所を出た人について,私たちが一番最初に心を砕かなければいけないことは何でしょうか.それは,ルールを守らせるということです.守れないから刑務所に入っているわけだから.特にプロテスタントは,厳しいんです.カトリックが堕落していたから,ルターが免罪符に怒ったわけでしょう.「95ヶ条」を書いて抗議して,道が分かれたわけでしょう.でも,前の教皇様は「出て行った兄弟だから.」と手を差し伸べてくださった.すばらしいことですね.本当の福音だと思いました.ムーブメントが起こって,新共同訳が生まれましたね.私は,新改訳使っているけれど.たまたま私が救われた教会で使っていたからです.刑務所では,新共同訳を読みました.はしがきから,全部読みました.だから,プロテスタントとカトリックは,手を結んだということも分かったのです.
 イエス様は,どうやって死んでいったのか.告別説教を聴きたかったら,ヨハネの14章から18章を読んでください.イエス様が十字架を前にして弟子たちに語ったことが書いてあります.そこに書いてあるのは,徹底して,「ひとつになりなさい.私に留まりなさい.互いに愛し合いなさい.」これだけなんですよ.
 クリスチャン同士が,同じ神様を救い主を聖霊を受けている者たちが喧嘩しているなんて.サタンが喜ぶだけですよ.
 うちの教会に,カトリックで信仰を温めた姉妹がいました.洗礼を受けたいと言うのです.私は,どちらの教会で受けてもいいと思いました.私たちは,すぐ自分の教会に囲うことをします.でも神様の目から見なければいけないと思うのです.その人が本当に心養われて聖書に結びついた生活ができるのであれば,自分が洗礼を授けた人であっても,どちらの教会に所属したってかまわないと思います.傷ついても愛を持って和解して,心の回復がなされて行くんです.
 まぐろ信者という人がいます.いつもあっち行ったりこっち行ったり,止まったら死ぬんです.でも,それが聖書的なのかどうか.しかし,本当にこの牧師を支えるんだ,この神父様の行く所,行ってサポートするんだという強い決意がある場合,どうぞ主の働きの為に忠実であってください.と送り出さなければいけない.私たちは,入るにしても出るにしても祝福されたと,申命記28章にも書いてありますね.野にあっても山にあっても町にあっても祝福されるんですよ.箸や茶碗まで祝福されているんです.聖書には,コネ鉢と書いてありますが,土器みたいなものですね.それだけ祝福されているんです.私たちが行くところが祝福の基なんです.いのちが,救いがあるのです.私の行くところ,信仰が燃えるように宣教して行きたい.信仰が停滞しているところに行きたいんです.私たちの為にイエスが十字架で死んでくださった.そして三日目に復活してくださったのですから.
 サタンは,ビジョンが大きいです.志が高いんです.いと高き神のようになって,礼拝を受けてこの世を支配するって言うんでしょう.
 サタンを倒して,偶像を打ち砕いて立ち返らせて,という高いビジョンが私たちにありますか?霊的な戦いを忘れてしまうでしょう?黙示録に書いてあること.イエスの再臨のときには,全世界に福音が入ってユダヤ人たちがキリストを信じて再び来るって言うんでしょう.それなのに私たちは,明日のご飯をどうしようとかとかばかり,大きなことを忘れてしまう.夜になって,教会の為に祈らなければ,牧師の為に祈らなければ等,さまざまなことに忙殺されて高い志を忘れてしまうんじゃないかと思うんです.
 先日,静岡に行って,イスラエルの国旗を貰ってきたんです.でも,イスラエルのために祈ることを忘れてしまうんです.月に一度会報が送られてきて思い出すんです.
 少し前に私の子供が,ハワイで事故を起こしました.それでワイフがハワイに行きました.
 私は,クリスマスから休みなしで働いています.時々,自分は妻を愛していないんじゃないか.と思うんです.幼稚園でも子育て講座をやってるんですよ.失敗者から学ぶってやつをね.それなのに例のハワイでの借金の督促状を見て,妻に辛らつな言葉をかけてしまうわけです.創世記を見ると,神は,似姿として人間を造られたとありますね.夫婦は神のかたちなんだな.父母を離れて一体となるんです.それでも,いろいろな問題があり,傷つけあうのであれば,離婚もいたしかたないと思っていました.けれど,それは,サタンの勝利なんだとわかりました.私は,別れるとは思っていないですよ.神の計画で結婚したんですから.離婚はサタンの勝利なんだと気づいたんです.
 私の師匠である中野雄一郎先生から聞いたことですが,ハワイに滞在したとき,サタン崇拝の女性がやって来て,「この牧師たちを離婚させる.」と言ったそうです.警察を呼んで,教会に近づかないように制限をかけて,つき出したそうです.牧師は,離婚を免れたけれども,そこの信徒の中で,何組も離婚したそうです.霊的な戦いです.
 「信仰の武具を着けて,救いの兜を被り,正義の胸当てをして,真理の帯を締め福音の靴を履いて,信仰の大盾をとって,御言葉の剣を」と,パウロが言いましたね.これらは,当時のローマ兵を思い浮かべたものなんです.大盾でサタンの攻撃を凌いで,言葉の剣で戦うんですね.サンダルも鋲が付いた頑丈なもので,登山靴のように坂を駆け上がれたそうです.
 私たちには,いろいろな証がありますけれど,救われた証もすごい.刑務所の人たちが信仰を持った,これもすごい.もらった信仰をいかに温めて,社会によっこらしょと持って行って離さないでいられるか.それが鍵だと思います.刑務所には,土壌があるんです.時間は沢山ありますし,狭いところに閉じ込められている.テレビもあまり見ない.そんなところで聖書を読んだら皆信仰を持ちます.信仰は清めです.どう生きていくのか.神様に忠実に生きて行くのかなんですよ.

質疑応答:

Q : 法を犯してしまうのが,平気な人とそうでない人の違いはどこにあるのでしょう?

進藤師:
 まず,第一に教育です.
 幸せな家庭で育つこと.機能不全家庭でないことです.子供が親の言うことを守る.ルールを守る喜び,神の喜ばれることを進んでやることが御霊を知ることの自由であると知るかどうかです.
 十戒・律法を知ることによって,正しさを知り,悪がいけないと知るのです.幸せな家庭で育ったヤクザはいません.コミュニティも大事です.
 友との交わりの中で,愛を詰め込んで,欠けているところを満たしていきたいですね.

Q : ヤクザになった理由はなんですか?

進藤師:
 僕は,スカウトなんです.草野球チームに入ったら,そこが組のチームだったんです.まだガキだったから,金払いがいい強い男に憧れました.いい車に乗っている,きっぷのいい人に憧れました.その人は,組の代行でした.一年,二年,がんばって駆け抜けました.40歳までに組長になろうと思っていました.今は方向が正しい方に向いてますけどね.
 パウロも激情型でしたね.皆に批判されたパウロをバルナバが執り成したんでしたね.
 そのバルナバとも旅先でマルコのことで喧嘩したり,公衆の面前で先輩のペテロを批判したりしましたね.尊敬も配慮もない.でもその激情は,伝道で生かされたんですよ.一方パウロは,謙遜の限りも尽くしたんですよ.テント作りをして他の人に負担をかけまいとしたんですよ.
 モーセも激情型だけれど,世界の誰よりも謙遜でした.
 僕は,ヤクザと知り合ったときに,正しい判断ができなかった.いいことか悪いことかが解らなかった.慣れるということが一番良くない.礼拝のとき,神に向かうときも,刑務所に入ったときもそうです.18歳の時に暴力事件で留置場に入りました.かび臭い,冷たい,ダニだらけ,それも慣れていくんです.毒が回って何がなんだか分からなくなっていく.体育会系で挨拶だけはしっかりやっていた.24歳の時,ヤクザで飯を食っていけると確信しました.「どうせヤクザだ」という壁をつくるんです.逆エクレシアです.マイノリティなのに怖がられる.すべては,小さいときからの教育です.だめなものはだめっていうね.

Q : 親に対する文句や反抗は,グレる原因ではなかったのですか?

進藤師:
 それは,セットですよ.親に対する反抗期がない子なんていないでしょう.プラス非行ですよ.今,高校生に伝道したいと思って,定時制高校に通っていますけれど(二年生三回やっているけれど),自分が小中学生のときのほうが良かったと思います.高校生は,絶対に殴られないから,のさばっているんです.「やる気のない人間は出てくれ」って言うだけで,先生が怒らないの.学校教育に期待できないんです.教育委員会がだめなんです.熱血先生が一番辛いと思う.そういう人間は,疎まれるんです.生き生きと働けない職員室なんです.そうなるとまず,家庭ですね.
 三回離婚した私が言うのもなんですが,それぞれに長女,長女,長男がいるんですから,自分が失敗しているし,親も失敗してるんです.今も昔も完全な親なんていない.子どもとともに成長していくものなのに,離婚して欠けてしまったらもっとおかしくなってしまう.
 朝早く教会に来て祈る習慣.イエスさまが暗いうちに山で祈った.それは良いことでしょう.でも家庭があって,お母さんがクリスチャンで,朝ご飯用意して「勝手に食べてね」と教会に行く,それなら「子どもと一緒にご飯食べてください」と,私は言いたい.愛は態度でしょう.愛は行動でしょう.家庭のなかで,できることをしていきましょう.飢餓対策機構,地球の裏側のウガンダの人を助ける前に自分の子どもを助けてください.どこでもこの話をします.それは,私は自分が辛い思いをしているから,自分も辛い思いをさせているから.こんな親にはなりたくないと思いながら同じことをしているんです.親の背中を見ているんです.どこかで,それを断ち切らなければならないんです.それには,キリストの愛しかないんです.
 その自分が,妻と喧嘩しているんです.話しながら打たれているんです.悔い改めています.私のセミナーで,「まず,妻を愛しなさい.」というメッセージが響いていたんです.神様の声に従って生きることが一番の恵みです.いつも神がともにおられます.どんな勉強をしていても「妻を愛しなさい.」と伝えています.
 家庭集会に招かれたとき,食事をしてコーヒーをいただきました.そこのお父さんが帰宅しました.そうしたら,「お父さん,チンして.」と言っているんです.それは,よくない.お父さんを大切に敬っている家庭なら子どもは変わるし,「結婚は,家庭はいいな.」と思う.子どもに,お父さんの愚痴を言うのも良くない.希望を持てない.他人にお父さんの悪口を言ってもいけない.「働いてくれてありがとう.早く帰ってこないかな.」という家庭なら,結婚って麗しいと思うでしょう.自分の理想と,見聞き
した家庭の様子から,勝手なことを言っています.

Q : 刑務所の様子を聞かせてください.

進藤師:
 先進国の中でも,日本の刑務所は貧しいです.最低です.アメリカの回復率が良いのは,社会の受け皿がしっかりしいるというのもありますが,きちんとカウンセリングするからです.殺人を犯す人は,初犯で,憎悪で殺してしまう人は,自分のしたことに押しつぶされそうになっているんです.何故犯罪がいけないのかも教育しない.性的虐待を受けた子どもの父親が返り討ちした場合のカウンセリングもできない.精神鑑定の必要のない人には,何もない.社会の受け皿もない.日本の刑務所は,最低です.教戒師の方たちが補おうとがんばっています.とにかく入ったままの体で出すことが課題ですから,改心させようとか,心を正常に戻そうということはないんです.作業で機械で指を落としても懲罰を受けるんです.先日,もと刑務官の牧師さんが,言っていました.「心を変えるという作業をしない限りだめですね.」日本の刑務所を変えるのは,大変だけれど,できないことはありません.神にはできないことはないんです.小さなことをこつこつとやっていくんです.

Q : 受刑者たちは,手紙で本当のことを言っていますか?

進藤師:
 手紙に関しては,検閲しても個人名とかは大丈夫です.でもうるさい時期もありました.余計なことを書くなとか.トップによります.一年か二年おきに所長が変わります.それで方針が,がらりと変わるんです.今まで良かったものがだめになったり,今,全国的に原則として面会はだめです.十年前に逆戻りです.しかし,岡山は,大丈夫なんです.所長さんに会いました.彼は私の著書を読んで,15冊も刑務所に入れてるんです.遠藤周作の本だって10冊もないそうです.所長の一声で三人の無期受刑者に面会しました.彼らはクリスチャンになっているんです.
 受刑者にとって,面会に来てくれる人がいる,待っていてくれる人がいる.祈ってくれる人がいるということが大切でしょう.生きる希望なんです.私は,栃木刑務所の無期受刑者にも毎年面会に行っていました.所長が変わったら,いきなり面会がだめになりました.そういうやりかたにも我慢がならない.今本当に更生に必要なものは何なのか.教えるべきだと思う.管理も大切だけれど,その中で,考え方や倫理を教えていくべきだと思う.

Q : 受刑者への年賀状を出す資格について法務省に抗議しようと思うんですが.

進藤師:
 下の所長なんかは,上の言うことをきいているだけ.決まったことは,なかなか変わらない.一個人では,無理でしょう.団体で抗議すべきでしょう.刑務所によって,さじかげんは違いますが.私自身は,「喜ぶ」という意味あいのある年賀状を社会にいない中の人には出さないことにしています.出し切れないというのもありますが.せめて「和解」の誌上で答えていきたいと思います.
 面会がだめになったというのは,刑務官の仕事を減らすという目的もあるんですね.
 私たちの目に見えている刑務所の壁があるわけですが,実はその裏に霊的な戦いがあるわけです.サタンは神の軍勢に,自分たちの側にいる囚人たちを渡したくないわけですから.神の僕にはさせたくないわけですから.一緒にがんばりましょう.

Q : 文通している人が,独房にいます.大部屋に行きたいと言っていますが,大部屋も怖いとか,どうしたらよいと思うか聞かれています.

進藤師:
 「私の答える範疇ではありません」と書いたらいかがです.
 その人は,贅沢な人です.皆,独居に入りたくてしかたないんですよ.行きたくても行けないんです.雑居にいると必ずトラブルに巻き込まれるでしょう.自分の時間がないでしょう.確かに一緒にテレビを見て笑ったり,共有はできるでしょう.でも勉強したいときにできないでしょう.私の文通相手は,懲罰を一年間くらってでも独居に行きたいと言っています.なかなか順番がこないものです.最初から独居の人は,団体生活ができない変わった人か,エリートです.
 徹底的に悔い改めるということ.神の下にひれ伏さなければ引き上げられないんですよ.へりくだること.ネヘミヤは,神の前で小さくなるために断食した.私はそれが本当の断食なんだと思う.そして,「いけにえは,捧げ物じゃないんだ.正義なんだ.憐れみなんだ.人間らしい愛を貫くことなんだ.」とも聖書に書いてあります.励まされます.徹底的に悔い改めること.失敗し,神の前にひれ伏すとき,こんな男でも,ヤクザでも,シャブやった神学生でも,ホームレスでも,誰でも,キリストのうちにあるなるらば,新しく作られたものとなるのです.「古きは,過ぎ去り,見よ,すべては新しいものになりました.」と,言っているんです.「なるでしょうで」はなくて,「なりました」なんです.これがたったひとつの条件です.「イエス様と一体になるならば」一日前のおれは,もうどうでもいいんだ.ということです.
 皆さん,ありがとうございました.

刑務所から
あるお母さんの話

 麦の会の皆様,
 こんにちは.ご心配をおかけ致しましたが,無事裁判も終わり,ホッとしています.
 なかなかお一人お一人にお手紙する時間がないので,今回もこのような形のお手紙となってしまい申し訳ありません.皆様からの温かい激励のお手紙を拝見しながらの裁判でした.
 時間と日程が決まっているので伝えきれない事もありましたが,良心に従って最後までフェアにやり遂げられたと思っています.後悔も悔いもありません.もともと10年間の苦しみをたった数日で裁判官の皆さんに分かって頂こうなんて思うのが間違いですし不可能です.
 神様でなく人間と法律に裁かれるので,全ての想いを届けようとするのも無理な話なのです.
 子どもを殺めてしまった事は事実です.許されない事をしてしまったのも事実です.
 子どもには何の非もなければ,殺されなければならない理由も何一つありません.
 全てではないものの,大なり小なり言いたいことを伝えられたと思っています.
 今は晴れ晴れとして,とても人生を前向きに考えられています.
 求刑は10年でしたが,判決は7年となりました.
 離婚した嫁ぎ先の皆さんは「厳罰を!!」とおっしゃっていましたから,7年という判決に大変驚きました.私は裁判官に心証を良くしようだとか一切思いませんでした.
 どのように答えると内省(反省の気持ち)が良くなり減刑につながるか知っていました.でも神様と子どもに「真実を…ありのままを…」と約束していたので,雑念を捨て,姑息な手段は使いませんでした.そんな事をしてしまったら,一生子供にも自分に対しても後悔し,取り返しのつかない罪悪感でいっぱいになると思いました.
 「真実の中に神様のお働きがある.真の言葉に勝るものはない.」この言葉を信じ,最後まで貫き通しました.
 主人は何一つ本当の事を話さないまま(暴力,暴言等),私だけを悪者にする事で子供の無念を晴らしてあげようとしました.その気持ちはとても良く分かりました.
 その気持ちが手にとるように分かったので,折角与えられた発言の場で気持ちが乱れてしまいました.思うように言葉がでなくなってしまったのです.
 「私にたった一度与えられた機会に真実を話す勇気をお与え下さい.真実のみ話す事ができますように・・・」と休廷の間,お祈りしていました.
 それ以降は納得のいくものであったと思います.
 10年間の苦しみ(主人の暴力,暴言等),抱えていたもの,子供に対する想い,取り調べの不当な調書,調書から排除されてしまった事実・・・等を短い時間ながらも伝えられたと思うのです.
 全てが終わり,とうとう最後の時間・・・被告人最終陳述となりました.
 何も考えずにその場にいたのですが,知らない間に終わっていました.
 「お願いします」という自分の言葉で我に返ったのは覚えています.しかし一体何を話したのか全く記憶にありません.
 その言葉は多くの奇跡を起こす事となるのですが,今も思い出せない言葉と時間です.
 傍聴している方々(6名)から励ましの電報やお手紙が届きました.
 「あなたの言葉に嘘はない」「子供さんを可愛がっていた様子,後悔,反省があなたの涙から伝わってくる」「何か力になりたい」「社会に1日でも早く戻って元気で頑張っている姿をお子様に見せてあげて・・・」等と私にはもったいないくらいの温かいお言葉ばかりです.早々から電報を下さった方もいまして,裁判所にコレ(電報)を提出すれば情状面を考えてもらえるのでは?ともご心配下さってね,感謝しました.
 身内と記者,学生が傍聴している中で一般の方は少しばかりいらっしゃいました.
 6, 7割ほどしか席は埋まっていなかったので,その少数の中からの6名というのはとても励みになりました.早々の電報の方は 12/6,12/7,12/8,12/9 と色々差し入れて下さって恐縮しています.
 お礼のお手紙を差し上げましたが,どうしてそこまでして下さるのかと常識的な思いで悩んでいます.お気持ちは大変ありがたいのですけれど(笑).
 今後も支援したいとまでおっしゃって(12/9付のお手紙で)いますが,お顔も分かりませんし困りました.
 他にも同じような事をおっしゃって下さる方も何人かいらっしゃいまして,丁重に上手にお断りしようと思っています.
 またその言葉は裁判官の皆さんの心も動かしてくれました.
 量刑理由からは察する事のできない,7年という判決にあらわれていると思います.
 10年であっても不思議でない内容だったからです.厳罰を求めているのに7年は短いと私は思うのです.
 真面目に頑張って,信仰と償いの気持ちを忘れず生活し,少しでも早く社会に戻れるよう努力します.刑務所での時間を大切にして,看護や介護の資格を取得するつもりです.目標を持って子供に恥じないように頑張ります.傷つけてしまった大切な人達や支えて下さった皆様を裏切らない人生にすると約束します.
 さらにその言葉は,実父と叔父(実母の実弟で傍聴してくれていたようです)の心を動かしてくれました.
 あとは判決を待つばかりという○月○日の午後に何とシスター,実父,叔父の三人で面会に来てくれました.
 皆さん初日から傍聴して下さっていて,その最後の言葉が全てで真実だと思った,とおっしゃって下さいました.実父も叔父も「何も心配しなくていいから子供(子供です)に対する償いの事だけを考えて,真面目に前向きに頑張るように.あとの事は全て任せなさい.社会に戻っておいで.それまでに受け皿もちゃんと用意しとくから…」「すまんかったな.もう独りじゃないからな…」と耳を疑うような,信じられない言葉を口にするのです.その様子をシスターは温かく見守って下さいました.
 目の前の光景は夢だろうか・・・と思いました.判決以前の,ずっと望んでいた和解が実際に行われているのに信じられず,一体このような数々の奇跡を起こした言葉って何だろう?と思わずにはいられませんでした.
 今でも思い出せないその言葉は神様の御業によるものだと信じていますし,そうとしか思えません.
 この事を早く皆さんにお伝えしたくて・・・と思いつつ遅くなってしまい,申し訳ありません.
 この出来事は判決と比べようもない程の大切な瞬間です.7年という想いの他短い判決.未決勾留270日という事でしたから,残6年と3ヵ月です.真面目にしていれば4~5年で仮釈放です.あっという間だと思っています.
 離婚した嫁ぎ先のみなさんにとっては不服なものであったと察します.でも子供は喜んで応援してくれているように感じます.
 このような結果(奇跡)は神様だけでなく,皆さんのお祈りの力でもあると感謝しています.本当に本当にありがとうございます.
 これで終わりではありません.確かに信じられない事が起こりましたが,傷つけて苦しめている方は沢山います.その方の思いを忘れずに生きていく事も大切です.
 一生が償いであり,終生供養である気持ちは変わりません.
 これからも正しい道へと進むことができるように,変わらずお付き合いしていただければと願っています.今後ともよろしくお願いします.
 神様は共にいて下さり,祈りは必ず届くという神の御業と恵みをまた体験する事ができました.
 これからも信じて頑張ります.皆さんのお祈りのおかげです.
 私は債務整理の為に形ばかりの控訴をしますが,来年早々には取り下げます.判決に一切の不服はありませんので,ご理解下さい.
 1月中旬くらいに刑が確定すると思います.皆さんを裏切るような事は決してしません.信じて下さい.出所したら必ず皆さんに会いに行きます.
 2月はKさんの裁判です.私も心を込めて彼の真実が届けられるように祈っています.きっと良い形になります.信じています.
 今年も残すところ20日となりました.外の皆さんは何かとお忙しい毎日だと思います.どうぞお身体に気をつけてお過ごし下さい.
 12月は大変でしょうね.私はすっきりとした気持ちで来年を迎えられそうです.
 ホッ・・・としました.
 新しい年と共に新しい人生が始まります.頑張るぞ!!(笑)
 もうすぐクリスマスですね・・・楽しく素敵なクリスマスになりますように・・・祈っています.
 乱筆乱文にて失礼します.いい報告ができて嬉しいです!! 
(12月11日 S.T.)

刑務所の最初の試練

 刑が確定すると刑務所へ手錠をかけられ(複数の囚人がいる時は)ひもで数珠つなぎにされた状態で護送車に乗せられ刑務所へ.
 保安室で本人確認後,身体検査.これが屈辱的検査で全裸の上肛門検査まである.入れ墨などはその模様まで記録される.その後囚人服に着替えさせられ新人独房へ入れられる.翌日からは地獄の新人教育が始まる.
 歩き方の訓練,軍隊並みの訓練で5日間続く.又,日常生活や工場(刑務所では囚人たちは,朝8時から16時30分まで,ほとんどの時間を工場で過ごすことになる)での作業中の注意事項を教えこまれる.工場と房のあいだに検身場があり,朝と夕の2回必ず屈辱的な検身を受けることになっている.全裸となり高さ 5 cm の台の上にのり特別警備隊員に向かって両手をバンザイしながら手の表裏を見せ,同時に足も片方ずつ蹴り上げるようにして見せる.
 さらに口の中に何も隠していないことを見せるため,口を大きく開いて舌を上下に動かさなくてはいけない.(女囚にはこの検査はない.)
 このようなことを毎日2回やらされる.表向きは危険防止のための検身ということになっているが,恥ずかしい行為を繰り返し強制させることで,看守の絶対的優位を見せつけ,囚人たちを下僕であると思い知らせるのである.

 囚人たちの住む部屋は雑居房,独居房(夜間独居)昼夜独居などがある.昼夜独居は別名厳正独居と云われていて,次のような者が入る:
・規律違反で調べ中の者
・懲罰中の者
・医療観察が必要な者
・精神異常者
・訴訟を起こしている者
・暴動を起こすよう扇動する者
・逃亡の恐れがある者

懲罰について:
 刑務官,看守は戒護という目的において絶大な権力を施行する.拘禁の目的のために必要かつ合理的な限度において権利や自由を制限することができるようになっている.

収容者(受刑者)の規律違反の例:
・ ○○は○月○日○時頃,衣類整頓の順序が違っていた.
・ ○○は○月○日パンツを洗濯に出すのを忘れていた.
・ 高声交談(大声で話す)をした.小便中窓のほうを見た.
・ 毛布を顔までかけた.将棋中横からアドバイスをした.等々.

 「えっ!こんなことで?」と思われることで看守のチェックが入り減点され,減点が10点に達すると懲罰おくりになる.抗弁などしようものなら減点が加算される.他にも沢山の例があるのだが,これらのことで看守に見つかった時は,一切のプライドを捨ててひたすら謝るべき,なのだそうである.
 懲罰には12種類あるが一番重いのは2ヵ月以内に小さな保護房に入れられることである.
 これらの懲罰について詳しくお知りになりたい方は刑務所についての本が種々出版されているので読んでみて欲しい.

参考:
「実録!刑務所のヒミツ」,安土茂著,二見書房.

牛久
オード・レミ

 一年前から私は牛久(東日本入局監理局)に毎月一回,または2回行って,そこの収容されている人に会います.
 そこに700人ぐらいの外国人が収容されています.日本では他に2か所あります.大阪と九州.
 なぜここに収容されているのか.それは滞在の資格がないからです.簡単に言うとビザがないためです.長くいる人たちは,自分の国に帰りたくない,または,自分の国に帰ったら危ない.
 牛久に行くと世界の色々なところの状況を詳しく知ることになります.ネパール,パキスタン,インドのペンジャブ州,イラン,クルド人の問題,アフリカの国々.たくさんの人は難民の申請をしていますが,日本では,毎年25人しか認められないので,認められる可能性はとても少ない.
 この人たちは犯罪を犯していないのに,犯罪人の扱いを受けている.病気の人は治療を受けられない.与えられるのは痛みどめだけです.毎日することはない.窓がないので外の様子も見えない.外に出られない.そのような状況で精神的におかしくなる人は少なくない.ノイローゼになったり,自殺未遂の人もでてくる.
 中には,イスラム教の人は多い,けれども,彼らを訪れ,応援し,助ける人は,キリスト教の人です.牛久に面会に来る人の多くはキリスト教のいろいろなグループと人権問題に関わるグループです.自分の順番を待つ間に,その交流もあり,いろいろな人に会えます.
 収容されている人の中に,時々,すばらし信仰を持っている人がいます.キリスト教の人でも,イスラム教の人でも,その苦しい状況のなかで,神さまにこころを向ける.
 そして,キリスト教を知りたい,キリスト教を勉強したい人もいます.ラオス人の一人が何ヶ月か前から勉強を始めました.イラン人の二人から頼まれて,ペルシャ語の福音書,キリスト教を紹介する本を贈っています.
 今度,牛久に一緒に面会に行きませんか?

宮沢賢治とキリスト教
秋山昇牧師の MOPP での講義を拝聴して

 宮沢賢治という作家および『銀河鉄道の夜』という作品の名は誰もが知っているが,簡単な童話と思って読んでみると,イメージやシンボルの解釈など難解な点が多いことに気づくはずだ(サンテグジュペリの『星の王子様』も同様で,童話よりむしろ哲学書といったほうがよい面がある).
 宮沢賢治は,法華経の影響を受け,大乗仏教の普及を決意し,童話創作に熱中したという定説に対し,秋山先生のお話は,賢治とキリスト教の関係について考察されたものであった.つまり,宮沢賢治が,いかにキリスト教の影響を受けたか,またいかにその作品(特に『銀河鉄道の夜』)に,キリスト教の思想・世界観が現れているかを,具体例を挙げながら論証された.
 まず,賢治の少年期から青年期にかけての思想的影響を与えた人物として,小学校時代の教諭照井真民人や八木英三,隣家の山室機恵子,島地雷夢の名(いずれも熱心なキリスト者)が挙げられ,とりわけ斉藤宗次郎(内村鑑三の弟子)との交流は賢治に深くキリスト教の影響を与えたという.賢治に限らず,明治末から大正期にかけての作家は「仏教とキリスト教」の内部対立に苦しみ,東西文化総合ともいうべき精神的陣痛を味わっていた,ということについても触れられた.
 秋山先生によれば,賢治の文学・人生に及ぼしたキリスト教の影響は,仏教のそれにまさるとも劣らないほど深いものであり,賢治自身が一種の隠れキリシタン的な存在ではなかったということだ.
 さて,『銀河鉄道』の話に移る.
 この作品に現われたキリスト思想の例として,まず,初稿において削除された2箇所を秋山先生は示された.「どこからか度々きこえてくるセロのような声があるが,これがパウロやペテロたちにきこえる復活のキリストの声のようでもあり」と,「主よ,みもとに近づかん」(賛美歌430番)がそれである.
 次に,草稿メモから2箇所,すなわち「青年白衣の人とポウロについて語る」と「開拓功成らない義人に新しい世界現われる」ということばを挙げられた.
 そして,作品全体としては,「ヨハネ黙示録」の世界を連想させること,「ほんとうの神様」をめぐる「ジョバンニと青年の議論」や「ハルレヤ」(ハレルヤではなく)が唱えられることなどから「聖書的主題」をもつことが示され,そこから賢治の「隠れキリシタン的視座・立場」ならびに「隠された実存の深い悲しみ」が導き出された.
 その他にも,『銀河鉄道』には,内村鑑三の「羅馬書の研究」や斉藤宗次郎の強い影響が見られることや,ジョン・バンヤンの『天路遍歴』やナタニエル・ホーソンの『天国鉄道』などのキリスト教的メルヘンの影響についても触れられた.
 以下,蛇足的に感想を述べる:
 『銀河鉄道の夜』は直観的にも,キリスト的世界観を思わせることもあり,賢治の生きようからも,彼自身クリスチャンでなかったのか,とういう思いは持っていたが,今回の秋山先生のお話は「いつか聞いてみたいこと」にお答えくださったような感じがして,気が晴れ晴れとした.確かに明治来の文人はキリスト教の入り口を逡巡した者が多い.荷風も然り,朔太郎も然り.しかし,彼らのほとんどは,門をたたかずそむいてしまう.
 賢治はどうであったのか.賢治はイエス様を受け入れたのだろうか.本当のことは本人と神様のみがご存知なのだが,秋山先生のお話には大きなロマンを感じた.大変刺激的なお話で,できれば学生時代にお聞きしたかったと思った.
(M.I.)

新所沢公民館「イタリア美術セミナー」に巡り会って幸せ
吉田柾子

 美しい絵画,彫刻,焼き物など,海外から貸し出された美術品を随分沢山,美術館に足を運んで見てきました.レンブラント,ベラスケス,ゴヤ,レオナルド・ダ・ヴィンチ,セザンヌ,マネ,ゴッホ,等々.その中に,20年以上前に世田ヶ谷美術館で開催された展覧会の出口辺りで,フィレンツェ,ミケランジェロ広場からデュオーモを中心とした夕暮れの景色が大画面に写し出されていました.フィレンツェヘ必ず行くと決めました.ヨーロッパのどの美術館に行っても多くが宗教画.聖書を一度も読んだことがなく,描かれている内容が分からない.でも嫌いにはならなかった.せめてどのような場面なのか知りたいと講座を探していた時に,所沢市に越してきて,このセミナーの募集が目に飛び込んできました.そして3月で6年目,絵を見ることが好きから,知ることが楽しいとなり,特に,この1年以上かけて勉強してきたパドヴァ,スゥロヴェーニ礼拝堂のジョットのフレスコ画は近代絵画の入口であり,私にとって宗教画の入口でした.名場面集のような題材で,今後,どこの教会,美術館に行っても畏れることはないかな?最近読んだ堀田善衛の「美しきもの見し人は」の初めの文章にヨーロッパ文化に近づくため,ギリシャ,キリスト教,科学精神の三つの方法がある.そして誰しも何らかの無理をしなければならない,つまり,勉強をする.無理と努力の結果,報酬としての感動があるとあった.より多くの喜びを味わうためのセミナー,様々な知識と見識を備えて楽しい方々とご一緒し,そして,何と言っても熱意あふれるジュリアーノ先生の説明とビデオ,こんなすばらしい出会いに感謝し,毎回セミナーを心待ちにしている.

ジュリアーノは毎月一回「聖書と美術」のセミナーを,浦和,新所沢,清瀬,国立,宮原,信濃町などで行っています.興味がある方は連絡ください.詳しくお知らせします.

笑い話

ある日,まだ幼いマリアは,お母さんに質問をしました:
「ねぇ,お母さん,人類はどうやって生まれて来たの?」
お母さんは,答えました:
「あのね,マリア.神さまが,はじめにアダムとエバをお創りになって,そのあとアダムとエバが子どもたちを授かったのよ.人類は,そうやって創られて来たのよ.」
それから2日後,マリアはお父さんに同じ質問をしました.すると,お父さんは,こう答えました:
「むかしむかし,サルがいたんだ.そのサルたちは,時間の経過と共に,だんだん人間に変わって行ったんだよ.人類は,こうして現れるようになったんだよ.」
混乱したマリアは,お母さんのところに駆け寄り,言いました:
「お母さん!どうして,お母さんは神さまが人間を創ったと言うのに,お父さんはサルの子孫だと言うの?」
そうすると,お母さんは答えました:
「あのね,マリア,お母さんは,お母さんの家族の始まりを話したのよ.でも,お父さんは,お父さんの家族の始まりを話したのよ.」

ルイ・ロゲさん闘病記 (2012年11月)
防衛医科大学校病院救急部 阪本敏久

 ルイさんは2月にブラジルを周遊し,その前後に断食もしており,かなり過酷な状況にあったと推測されます.4月に入って微熱が持続しましたが,風邪と思っていました.
 4月20日,電車に乗車中,突然痙攣をおこし,救急車で所沢の病院へ搬送されました.最初は意識もなく,痙攣が持続しました.種々の検査の結果,ウイルス性脳炎と診断されました.風邪と思っていたのは,実際にはこの脳炎だったということです.数日後,一時軽快して目は開けるようになりましたが,1日中ベッド上での生活で,言葉は自由に話せず,自分がどこに居るかも把握できない状況でした.しかし脳 MRI では病巣はさらに拡大し,今後悪化すると予想されました.肺炎も併発し,酸素マスクが必要で,病棟の中でも重症患者が収容される病室で管理されていました.やはりその後意識はまた悪化し,周囲の状況が全く理解できない状況でした.
 5月上旬にはさらに深刻な状態となりました.MRSA 菌という厄介な耐性菌による肺炎にかかり,肺炎が長期化しました.さらに 5月4日には呼吸不全に至り,しだいに心不全も併発して血圧も低下.とても自力で呼吸できなくなり,多くの臓器不全(心不全,呼吸不全,肝不全,腎不全,中枢神経障害)があり,集中治療による治療を必要としました.当然意識はほとんどなく,見舞いの人の顔も認識できない状態でした.
 そこで最初の病院の院長と相談し,防衛医大の集中治療室 (ICU) で治療を開始しました.気管に管を挿入し(気管挿管),人工呼吸器を装着して呼吸の補助をしました.5月10日には呼吸不全も長期に及ぶと判断し,気管に穴をあけて(気管切開)そこから呼吸器に接続しました.
 この時点では,ICUでも最重症患者で,救命できる可能性はおそらく 20-30%, 元通りの生活に復帰する可能性はさらに低く,数%であろうと予測しました.Giuliano さんからも家族に伝えた方がよかろうと言われ,その時の状態を手紙に書きました.家族へは,生命の危機を脱することのできる可能性は非常に低く,植物状態になる可能性も高いこと,もし改善したとしても左半身麻痺は残存するであろうし,周囲とのコミュニケーションは困難であろうことを伝えました.もしもの時に家族の希望があれば伝えてほしいとも記載しました.
 しかし5月下旬から,奇跡は起こりました.集中治療で非常に快調に回復し,人工呼吸器から離脱して自分自身で呼吸することができ,少しずつコミュニケーションがとれるようになり,肺炎も改善してきました.6月上旬には,集中治療室を出て,気管チューブも取れて全く自分で呼吸することができ,会話もでき,食事もできるようになりました.食欲増進のためにワインも飲むことができました.病院でワインを出すことは極めてまれです.ぼちぼちわがままが出て来たのもその頃です.やがて自分で歩くことができ,周囲の状況もよくわかり,見舞いの人の区別もできるようになりました.まだ会話の内容につじつまの合わないこともありましたが,積極的なリハビリも奏効しました.7月にはリハビリだけが必要となったため,リハビリ専門の病院へ転院しました.
 約1ヶ月間のリハビリを行い,自力で歩行することができるようになりました.最近の記憶に関しては完璧ではないものの,過去の記憶は確かなもので,聖書の教えも,祈りも何とかできるようにまで回復しました.
 私はこれほど重症の脳炎患者を診たことはありませんでしたし,またこれほど重篤な状態から回復する患者も極めてまれです.神様の大いなる恵の賜物と思います.実に多くの方の祈りがあったことも見逃せません.賛美に値する回復です.医療従事者としてもとても喜ばしく思います.

ダンテ「神曲」読書会に参加して
長田政江

 私が「神曲」の読書会に参加するようになって2年が過ぎました.イタリア語の音読に悩まされながらも,毎回皆さんやジュリアーノ先生の意見を聞くことが楽しくて,読書会の日はなるべく他の用事を入れないようにしています.
 日曜の午後のクラスは「煉獄」へと進み,月曜日午前のクラスは「地獄」の半ばにも達していません.両方のクラスに参加している私は煉獄と地獄を“行ったり来たり”している有様です.けれど,こんなことも読書の世界でこそ味わえる特別な経験です.
 洋の東西を問わず,人間が“地獄”のイメージを持っているのは,考えてみると実に不思議なことです.地獄に描かれているのは「悪」の問題です.この問題は人間が宇宙に行けるようになった21世紀でもなお,個人の悪から国家の悪にいたるまで絶えることはありません.「地獄」に表現された悪は,そのまま今の現実であるところが,本当に恐ろしいところなのです.
 さて,ダンテはさまざまな悪の序列化して落ちるべき場所を指定しています.ダンテその人の「悪の基準」はどこにあるのでしょうか.されは,キリスト教的な倫理観にある,と言ってしまえばそれまでです.でもどうもそれだけではない,ダンテ個人の価値観や感情もあるように思えます.私には,そこがとても面白くまた魅力的でもあります.
 それにしても,これだけ悪を断罪できるダンテが,私には羨ましく思えることがあります.また同感しながらも,一方ではダンテを厳格主義的だとも感じます.こういう感じ方するのは,とかく物事を曖昧にしがちな日本に生きている私が甘ったれなのか,と反省を迫られるようです.いやはや,読むほどに複雑な思いです.
 地獄へと下降する旅はまだまだ続きます.これからも悪についていろいろ考えさせられることでしょう.
 一方,地獄の入口を通過したあたりの第5歌です.地獄を読み終えた後では,心底ほっと一息つく思いがあります.
 人はそもそも「天国か地獄のどちらかに直行」の二者択一的な存在ではありません.現実には悪人と言われる人の中にも善のかけらが在り,善人と言われる人の中にも悪は潜む,と言うのが本当のところでしょう.
 煉獄は天国と地獄の間にあります.そこにいる人々は罪が赦される時を待っていて,生者の祈りを必要としています.煉獄にあるのは絶望ではなく忍耐と希望であることに,私は深い感動を覚えます.
 煉獄を読み進んでいると,体が軽くなったように感じることがあります.これもダンテの筆力のなせる業でしょうか.
 今後を楽しみに待ちつつ,ジュリアーノ先生をはじめ皆さんと共にしっくりと読み進んで行きたいと思います.

毎月1回,ダンテの「神曲」を読む会が3ヵ所であります.テキストは,日本語,イタリア語,英語.解説は日本語.興味のある人は連絡して下さい.
*ニコラ・バレ(四ッ谷駅近く),火曜日 6:30 pm - 8:00 pm
*第4日曜日,ジュリアーノの家で,2:00 pm - 4:30 pm
*月曜日,ジュリアーノの家で,10:30 am - 12:30 pm

編集後記

★ 5年の月日が経ちましたが,再び発行することができました.とてもうれしいことです.
★ 「御国でしかと抱きたまわん」の文章を読んで,強く打たれ,ぜひ,活字にしたいと,この数年願い続けていました.今回,ここに載せることができたことに,ただ,感謝です.
★ いろいろな出来事がありました.私達の存在は,時間も場所も限定さています.その中で,今を,共に生かされてことを体験させてもらっています.
★ 久しぶりに聖ペトロパウロ労働宣教会の総会後の集まりに参加しました.日々の生活の場で,働き続けている何かを感じました.そして,言われたことは,「祈り続ける.とにかく,祈り続ける.」
★ ゆるしのことでまだ載せることができなかったものもあります.今後,機会があれば,このことも考え続けたいものです.
(田嶋文)

発行者: MOPP の兄弟と友だち

聖ペトロ・パウロ労働宣教会
〒359-0023 埼玉県所沢市東所沢和田 1-26-31
tel & fax : 04-2945-0510
e-mail : giuliano.delpero@hotmail.it

振替口座 00190-5 702485
ビベ・キカヨン
代表者:ジュリアーノ・デルペーロ